エルトン・ジョンの壮絶な人生を描いた映画「ロケットマン」
見てきましたが、内容はエルトンを知らない人でも面白く見れるようになっていましたね。
内容もミュージカル調で楽しめるものでした。もちろん、重いところもありましたが・・・。
さて、映画でも取り上げてましたが、実際はその成功の裏で「酒、ドラッグ、薬物」に溺れて、さらにマネージャーのジョン・リードにまで利用されてきました。
そんなエルトンの過酷な人生が凝縮された映画ですが、中でもエルトン・ジョンを支えてきたのが作詞の「バーニー・トーピン」
縁の下の力持ち存在で、エルトンとずっと一緒に曲を作り上げた類まれなる才能をもった人物です。
なぜエルトンは作詞しなかったのか?
エルトンジョンの曲はほぼ全てバーニーが書いていますが、エルトンも全く作詞できないわけではないと思います。
理由としては、早くからバーニーという優秀な作詞家と出会えたので自分が作詞する必要性を感じなかった、または、彼がゲイという事もあり自分の心境を書くと周りにゲイという事が気づかれてしまうという心配もあったように思います。
当時のイギリスの法律では、同性愛は法律により懲役などの刑罰対象になっていたので、ゲイというのがバレると人生自体が終わってしまう可能性がありました。
もしバレてしまえば本人だけでなく、家族も世間から白いめで見られてしまいますし、相当の恐怖だったと思います。
エルトンの完全分業+詞先(しせん)の作曲は珍しい
曲を作るときには「歌先(うたせん)」と「詞先(しせん)」というやり方があります。
エルトンはほぼバーニーが書いた詞を元に、そこからメロディや曲を作っていく方法です。
先にメロディーやコードがあるほうが歌詞がつけやすいのでやりやすいですが、割と型にハマって面白みのない曲になってしまう事が多いです。
逆にエルトン達のように、詞が先にあって曲を作る場合は、独創的なメロディーが生まる事が多いと思います。
普通は、シンガーソングライターのように一人で両方をこなすか、曲を作ってから歌詞をのせるパターンが多いと思いますが、完全に作曲と歌詞が分業で、歌詞を元に曲やメロディーを作るパターンは珍しい気がします。
器用というか、スタジオミュージシャンっぽいですよね。
バーニーではなく、エルトン・ジョンが作詞した曲はないの?
エルトンジョンが作詞した曲とはないのですが、1970年の曲「Border Song」でエルトンジョン自身が詞を最後に追加しています。
バーニーが作詞をしましたが、エルトンがもうワンフレーズあったほうがいいと感じたようですね。
他にも、エルトン・ジョンの1972年のヒット曲「ダニエル」で最後の詞を消しています。
この2つぐらいですから、エルトンは作詞に関してはほぼノータッチだったんですね。
バーニーがエルトン以外で魅せた才能
バーニー・トーピンが他のバンドに歌詞を提供したヒット曲がいくつかあります。
その1つが、スターシップというバンドの全米1位に輝いた「We Built This City(シスコはロック・シティ)」(1985年)
朝のとくダネのオープニングでも流れていたので、聞いたことある人もいると思います。
歌詞だけみると、スターシップが「シスコ」を思い出して歌っている用に思えますが、
実はこの曲、作詞だけでなく作曲にもスターシップのメンバーは誰一人関わっていませんw
バーニーの凄さが垣間見えます。
そして、ハートの「These Dreams(ジーズ・ドリームス)」(1986年)
こちらも全米1位の売上に輝きました。歌は、珍しく妹のナンシーが歌っています。
とてもファンタージーな歌詞で、バーニーの想像力の豊かさがわかりますね。
静寂はこれまで聴いたなかで 最も甘美な歌 おかしいわね 夢の中であなたの足は地についていないの 王子様でいっぱいの森の中では 自由とはキスを意味するの だけどその王子様は霧の中の夢から 顔を隠してしまう【Heart – These Dreams : le pays du soleil levant より引用】
エルトンの曲は、フォークソングやロック、オールディーズ、ソウル、バラードまで幅広いですが、色々な世界観の歌詞を書けるバーニーがいたからこそ出来たんだと思います。
エルトンとバーニーは恋人関係にあった?
映画にもありましたが、二人は兄弟のような関係です。
エルトンジョンはバーニーを好きでしたが、バーニーは女性を好きなので、エルトンが気持ちを抑えていたという感じですね。
バーニーはその事を知っていて、エルトンの気持ちを歌詞にもしています。
ちなみに、バーニーは女性との3回の離婚と4回の結婚をしているのでなかなかのプレイボーイですw
エルトンジョンとバーニーは仲違いしてる?
映画だと、エルトンとの激しい口論をして仲違いしたようになってますが、エルトンとバーニーは、50年に渡って現在でも良い仲です。
ただ、2人に亀裂が入っていた時期があって、バーニーは、1976年にエルトンの作詞を辞めて、その後、1983年に発表したトゥー・ロウ・フォー・ゼロというアルバムからは全曲の作詞に復帰しています。
アルバム発表前には戻っていたと思うので、数年で復帰と考えたらなかなか早かったと思います。
きっと、お互いに気にしていたんでしょうね。
バーニーが不在だった時期は、ゲイリー・オズボーンやトム・ロビンソンという作詞家に依頼してアルバムを発表していますね。
その後、「愛を感じて」 (Can You Feel the Love Tonight)という曲(ディズニーアニメの「ライオン・キング」の曲)を作っていますが、この曲はティム・ライスが作詞しています。
ティム・ライスも有名な作詞家で、「ジーザス・クライスト・スーパースター」、「エビータ」などでアンドルー・ロイド・ウェバーと共作しています。他にも「アラジン」「美女と野獣」などでアラン・メンケンとも共作しています。
意外なバーニー・トーピンの飲み仲間
70年代の半ばですが、バーニー・トーピンは、アリス・クーパー、ジョン・レノン、リンゴ・スター、キース・ムーン(ザ・フーのドラマー)、キース・エマーソン(ELP)、ハリー・ニルソン、ミッキー・ドレンズというグループで夜な夜な飲みに行っていたそうです。
アリス・クーパー
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他にも、ジム・モリソンやジミヘンもいたとかw
という感じで、バーニーさんは才能があって、なかなかの遊び人だったようですw
